犬とあなたと珈琲と。Vol.51

ミキサー:レディオ湘南 高橋優佳
宝製菓presents radio café『犬とあなたと珈琲と。』
FM83.1MHz レディオ湘南(毎週金曜 16:00~16:29)放送中
湘南の海を見下ろす、小さなコーヒーショップ「TAKARA CAFÉ」。
ここで“宝物”の話をすると探し物が見つかるとか?…
オーナーは心理士でドッグカウンセラーのしらたゆうこ。
店長はカフェオレ色の17歳。愛犬の“うり”。
美味しい珈琲を飲みながら、お客様との会話に耳を傾けてみませんか。
今回のお客様は柔道家の泉浩さん。2004年アテネオリンピックの銀メダリストです。泉さんは青森県大間町のご出身。9人兄弟の8番目で泣き虫坊主だった泉少年の「宝物」は「秘密基地」。お父様にすすめられて柔道を始めるとすぐにその魅力にとりつかれ、小学校を卒業と同時に単身上京し、柔道の名門私塾講道学舎に入塾。24時間体制で練習に打ち込み、実績を積み重ねていきました。現在は柔道クラブで柔道の楽しさを伝えながら、体力づくりや食育にも注力し、子供たちの夢を応援中です。女優の奥様、末永遥さんやお子様たちの話をするときは、声が緩み、時々見せる笑顔はなんだか癒し系。「現役時代のピリピリした自分よりも、こっちの方が楽です」。トップアスリートの素顔を垣間見ることのできたひと時でした。

―こんにちは。泉さん。ようこそお越しくださいました。
こんにちは。
―あっ、うり店長がご挨拶に来ました。そう、泉さんはワンちゃんと暮らしていらっしゃるんですよね。ダックスちゃん。お名前はなんて言うんですか?
カルアって言います。
―カルアちゃん。
カルーアです。
―「カルーアミルク」のカルーアちゃんですね。今度、一緒に遊びにきてくださいね。
ありがとうございます。

目次
泣き虫を見かねて
お父様がすすめた柔道
―泉さん。泉浩さんは柔道家でいらっしゃって、2004年のアテネオリンピックで90kg級に出場されて、オリンピック初出場にして銀メダルを獲得。その後、カイロ世界柔道選手権大会で優勝されるなど、もう学生時代からずっとタイトルを総なめにしてきたと聞きました。今は、現役は引退されて、TVなどのメディアにも出演されて、あらたなフィールドでもご活躍中ですよね。柔道はお兄さんの影響で7-8歳頃に始められたと聞いています。
柔道を始めたきっかけは、私は9人兄弟なんですけど、その8番目で4男5女の構成。元々体が弱くて泣き虫だったんです。それで父親がそれを見かねて「柔道やりなさい」と。
―どうでしたか。柔道を始められて。
すぐに好きになった感じですね。
―面白いって感じたってことですね。
そうですね。やっぱり人を投げるのが楽しくって、はい好きでしたね。
―ちょっと泣き虫で体も弱かった泉少年。柔道を始めてから、自分自身に変化みたいのを感じましたか。
そうですね。泣き虫に関しては、だいぶ治ったのかな…という風には思います。
―(笑)どうして泣き虫だったんですか?
兄弟喧嘩とかよくしていましたので、それで「よく泣いていた」っていう記憶がすごいあるんです。そういった意味でも「喧嘩もしなくなった」というのもあります。
―下の方だから、上のお兄ちゃんとかに結構いじめられていたのかしら。
お兄ちゃん、お姉ちゃんとはよくケンカしていましたね。
とりあえず受けた試験に合格
名門私塾に

―私はスポーツに詳しくはありませんが、そんな私でも知っている五輪メダリストの古賀稔彦さんや吉田秀彦さんも輩出された、柔道の名門私塾『講道学舎』に入門されたんですよね。
はい。その寮自体が中学校と高校の中高一貫の寮だったので、私は小学校まで青森で過ごして、中学校になるときに上京してきました。
―では7-8歳で柔道をはじめて好きになって、その名門私塾に入ろうと思うくらい、めきめきと力をつけていったっていうことなんですね。
と、言うよりも、その寮に入るための試験があったんですけど、町道場の先生が「まぁ、落ちるとは思うけど、とりあえず受けてみようか」っていうので受けたんです。
―えーそしたら…
受かって。それで、その時にはもう柔道が大好きだったので「どこまで強くなれるのかな」って。そういう風にちょっと思ったときに、もっと挑戦してみたくなったんですね。
―はぁ…。柔道の虜(とりこ)になったんですね。
そうですね。虜ですね。もう。
―学校に通う以外は、柔道漬けの生活だったんですか。
完全に24時間体制ですね。「いつでも練習できますよ」っていう、ところでした。
―勝ち続けてきた人生だと思います。どういう試合を今思い出しますか。
自分の中でターニングポイントを一つあげるとすれば、高校生の時のインターハイです。と、言うのも、初めて「オリンピック選手になりたい」「世界チャンピオンになりたい」っていう夢を持ったのが、その大会でした。
―高校のインターハイも優勝されたんですよね。
そうです。3年生の時に優勝することができました。
―では、高校1年、高校2年と「絶対優勝するぞ!」という気持ちで3年生のときに挑んで、優勝を勝ち取った。
そうですね。全て優勝して成長してきている訳ではないと思っています。
ゲンを担いだ現役時代。
今の自分が楽でいい

―一流の選手はルーティンを大切にするというか「ゲンを担ぐ」と聞きます。泉さんはどうでしたか?
僕はもう気が弱かったんで、すごく「ゲンを担ぐ」ことはしていました。
―例えば、どんなことですか?もしよかったら教えていただけますか。
例えば、計量の時は同じパンツを穿くとか、タオルは同じタオルを使うとか。「ゲンを担ぐ」って言うものに関しては、めちゃめちゃ敏感でした。
僕、珈琲が好きだったんですね。
だから、世界選手権の前とかは、缶コーヒーのラベルが金色じゃないと買わないとか(笑)。たまに、自動販売機の前で「あー、これよく飲んでいたな」とか「これよく買っていたな」とか思い出します。
―これまでとは違う世界が、どんどん広がっていると思います。選手時代と今の自分で「一番変わったな」と思うことはなんですか。
怒らなくなった。
―えっ?
怒らなくなりました(笑)
―それは、どういうことですか?
試合があったり、減量したりしていると、こう…ピリピリする性格だったんです。性格というか…していたんですよ。それが「試合がないし、減量もない」ので、ピリピリしなくなりました。
―今の泉さんは、ニコニコ顔の印象ですものね。
そうですね(笑)こっちの方が楽です。
―良かったです。

―甘いもの食べますか?
大好きです。この店の名前って『TAKARA CAFÉ』ですよね。なんか楽しそうな名前ですね。
―ありがとうございます。『TAKARA CAFÉ』は、ここで宝物の話をしたら、失くした宝物が見つかったり、新しい宝物に出会えたりする。そんな場所になるといいなと思って付けた名前なんです。
すごいいい名前ですね。
―ありがとうございます。もしよかったら、泉さんも宝物の話、聞かせてください。
テトラポットが
秘密基地

―泉さんの宝物はなんですか。
子供の頃は9人兄弟の末っ子だったので、一人で遊ぶことが多かったんです。それで『秘密基地』が自分の中で宝物っていうか…。はい。
―「秘密基地」。それはお外に自分で作ったんですか。それとも、お家の中にココが秘密基地って決めていた?
青森県に実家があるんですけど、港町なんですね。それで、よく家の近所に波除のテトラポットがあるんです。僕はそこをよく走り回っていたんですよ。
そのテトラポットの隙間に空間があるじゃないですか。そういう所を探して見つけて、ちょっとした住処みたいな、自分で改造とかしたりして(笑)
―あの三角の隙間ですね。
そうそう、三角の隙間。いいスポットがあるんですよ(笑)。
そこに波が高くなっても濡れない、いい感じで座れる空間があるんですね。そういう所を探して秘密基地にして(笑)
―その中では何をされていたんですか。
何をしていた訳じゃないんですよ。
ただ、座ったりとか、そこで寝たりとかしていたんですよ。テトラポットとかでよく一人で走って(笑)遊んで、疲れて寝てたような。
―(笑)走り回っていたって。なんとなく想像がつくような、つかないような(笑)
青森と市場と
家族と。

―お父様がマグロ漁船の漁師さんだっていうのはちょっと話題になりましたよね。
はい。そうです。
―それで今は市場で働いていると聞きました。
そうですね。
青森はお魚とか、もちろん野菜もいいものがあって、リンゴとかフルーツもあるんですけど、そういったものの何か「架け橋になれたらいいな」と思っています。
それで、ちょっと勉強するために、市場の方で勤めさせてもらっています。
―今はご結婚されて、可愛い息子君とお嬢さん。去年11月11日のワンワンワンワンの日に生まれたお嬢さんは、先月お食い初めをされたばかりですよね。奥様は女優さんの末永遥さん。素敵なご夫婦でも有名です。そう、先月は結婚記念日だったんですよね。
はい。
―おめでとうございます!何回目の結婚記念日だったんですか。
……8回目ですね。こないだふと考えて、一人で静かに計算しました(笑)
―おめでとうございます。8回目の結婚記念日!
ありがとうございます。
子供をメダリストに
育てるには

―子供をオリンピックのメダリストにしようと思ったら、どんなことを心がけるといいでしょう。親目線と指導者としての目線などあると思いますが、何かヒントのなるようなことがあれば、教えていただけますか。
そうですね。
自分がどうこうというのは分からないんですけど、自分が「親にしてもらっていた」とするならば、『何もしないこと』ですかね。
―それは…
と言うのは、「自分の意思」が大事だと思うんですね。
例えば、僕だったら柔道が好きで、「柔道が強くなりたい」という、そういう気持ちを応援してくれていただけです。
親主導で「あれしなさい。これしなさい」って言うのは全くなくて、ただ静かに応援してくれていた。「静かに応援してくれていること」が、ある意味僕の強みだったのかなと。今考えてみると、そういうことですね。
なので「何が大事か」って言ったら、「本人の考え方が一番、ものすごく大事」。だから、その考えたコトに対して「全力で応援してあげられる親でいたい」という思いが、今の僕にはありますね。
僕の銀メダルを見て、息子はよく「僕が金メダル獲るよ」って言うんです。
それで「あーそうなんだ。なにで?」って聞くと、何かは言わないんです。
でも、まぁ僕は変に柔道を強要したくはないので、「何かやりたいのかなぁ」って思いながら、そういうスタンスで僕はいますね。応援する準備はできているような感じですね。
柔道クラブでは
面白い・楽しいが大切

―今は「泉浩柔道クラブ」を開講されているんですよね。どうですか。泉さんがお子さんだった時と、今の時代の違いを感じることはありますか。
そうですね。
柔道クラブはまだはじめて間もないんですけど、逆に自分が勉強しているというか、学ばせてもらっている感じですね。子供たちに。
多分、昔の指導を全力で“ごり押し”してしまったら、「それは良くないかな」という風に考えます。でも、たまにはそういう昔の指導方法というのが「活きるときもあるんじゃないかな」という思いもあるので、常に自分が両端にいないといけないかなと。
その天秤は常に持っておかないといけないなという風には考えています。
ただ、子供たちがやりたいことを尊重したいので「柔道ってどういうものなんですか」って聞かれたり、「柔道ってなんなの?」って言われたときに、「柔道ってこういうものだよ」「柔道って面白いよ!」って、僕がそれを一生懸命伝えてあげたい。
そしてそれを「あー、面白い!」「楽しい!」って思ってもらえるような、環境下で居たいんですよね。
―本当にそうですよね。何をするのでも「面白いな」「楽しいな」がなければ続きもしないし、もっと「学ぼう」って気持ちにならないですものね。
うん。そうだと僕は思っています。
―とっても参考になると思います。
あともう一つ。
子供たちに関しては「体力低下」ということに僕も疑念を抱いていて、『体力づくりをみんなでやってみよう』っていう、心掛けがあります。
それと「食育」に関しても、ちょっと重きを持っています。
元柔道選手がただ「柔道を教えますよ」って言うだけじゃなくて、それプラスアルファですよね。今、自分は市場にいますから、例えばSDGsであったり「持続可能なものを今の子供たちとできたらな」と考えていて「何かやっていきたいな」っていうのがあります。
―はー。感動しました。藤沢の秩父宮体育館でも…
そうです。秩父宮体育館の武道室。立派な道場があるんですよ。そこでだいたい週に2回。月に4回から6回やっています。
―それは何か検索したらでてきますか。
秩父宮体育館の入り口に案内が貼ってありますし『泉浩柔道クラブ』を検索してもらって、連絡いただければ。
―『泉浩柔道クラブ』。ここで何か思い出の曲をおかけしましょうか。
そうですね。私が通っていた講道学舎。今はもうなくなったんですけどありまして、僕は当時よくわからなかったんですけど、Beatlesのジョン・レノンとオノヨーコさんが来て、柔道着を着た写真をその時初めて見たんですよね。
―えっ?貴重それは!
そういうのを先輩たちから教えてもらったりして「ビートルズさんってどういう歌を唄っていたんだろう」って。それで色々聴くようになって、その中でも『Let it Be』とかは好きです。
―では、Beatlesの『Let it Be』(楽曲はYouTubeにリンクしています)
子供たちの夢を
一緒に探したい

―今探している宝物はなんですか。
今は『泉浩柔道クラブ』に通ってくれている子供たちの「夢」ですね。その「夢」を、例えば一緒に探したり、夢が叶うような応援をしてあげたり、その道筋を示すことができれば幸せかなと思いますし、それができることが「宝物」かなという風に今考えています。
―子どもたちの夢を一緒に探して、夢が叶うように応援してあげる。
はい。
―市場でも働いていると仰ってました。体調崩さないように、ご家族、子供たち、そして、わんちゃん、みんながもたれかかれる大木のように、いつもでも、これからも元気でお過ごしください。
ありがとうございます。
―今日はお話しを聞かせていただいたお礼に、もう1杯いかがでしょうか。
じゃあ、遠慮なくいただきます。
―そう!思い出しました。以前「市場にたぬきが現れた」っていう投稿されていましたよね(写真下)。
はい(笑)
―あれ、尻尾が長くて縞々だったので、アライグマです。
えっ?あれアライグマですか⁈
―アライグマなんです。
アライグマってあんなにデカいんですか?
―大きいんです。アライグマ。
えっ?しっぽが長くて?
―縞々模様
縞々だったらアライグマ。わー、へー!そうなんだ。
―では、ごゆっくりお過ごしくださいませ。
ありがとうございます。

泉浩さんの
番外編①:減量!
―海外での試合も多かったと思います。「へー」ってびっくりしたり、「やらかしちゃった!」「世界の中心でオーマイガー!」みたいなことってありましたか?
海外はやっぱり色々な意味で日本とは違うことが沢山あるので、よく体重計が違ったりするんです。正確性とか。
自分が日本から持って行った体重計と公式の体重計が全然違ったりしたので、仮計(仮計量)するときに「だいたいどのくらい違うのか」って言うのは、すごい細かくチェックしていました。
昔は今と違って「当日計量」なんですね。
今は前日計量に代わっているんですけども、昔は朝の5時半に仮計量して6時に本計量とか、試合の当日の朝だったんですよ。それで、リカバリーする時間が大変だったんです。
海外の試合はよく90㌔ジャストまで、ギリギリまでOKだったので、90.0に持っていくのに、すごい努力していました。
―ちょっと…何か有名なのがありましたよね。どうしてもちょっと減量ができなくて…って、ありましたよね。大きな試合で…。
あの…そうですね。色々むずかしい…はい。ありました(笑)
日本にいる時は4時位に起きて、お風呂にお湯をためておくんです。そして仮計量して、例えば、200g300g重くても、部屋に一回戻って、お風呂で水分を抜いて本計量にいくみたいな。
―サウナスーツを着てギリギリまで水分を出してという話も聞きます。
そうですね。
―それでも「難しい」っていうとき、あるんですものね。
そうです。「本計量にかわります」「はじまります」っていう時は、早いもの順なので、陣取るのが得意とか(笑)闘いは始まっていますね。
―そこから、闘いが始まっている(笑)
一番最初に計量するっていう(笑)
―あーなるほど、面白い。
早く終わって、早く解放されたいっていう気持ちが自分は強いので
―そうですよね。本当にもう地獄ですよね。ギリギリまで絞るのは。
はい。
番外編②:
日常生活に柔道の動きを
―素人の私には、柔道の練習と言えば、組み手や受け身の練習という印象があります。例えば、生活の中で私たちが「柔道の動きを取り入れるといいよ」って言うようなコトってありますか。
今までも「受け身」ってものすごく大事って思っていましたが、僕も歳を重ねてきて、もっともっと大事に思えるようになってきたんです。
例えば、歳を重ねて骨が丈夫じゃなくなってきたときに、手をつくことで骨折に繋がったり、尻もちをついて後頭部を打って、重体になる事故に繋がったり。そういうようなことが起きないように、「受け身」を私生活に取り入れたら、ものすごく怪我が少なくなるし、重大な事故もなくなってくると思うんですね。
それで、今、介護施設などで、柔道の受け身を参考にした「転び方」など、そういうことを取り入れた動きが実際にあるんですね。なので、もしよろしければ、受け身をやってもらうだけでも全然違うと思います。
―面白い。生活の中で取り入れる柔道の受け身。泉さんの柔道クラブでも教えてもらったりはできますか。
はい。いつでも来てもらえれば。
泉浩さんのAmebaブログは⇒「こちら」
泉浩柔道クラブのお問い合わせ先は⇒ Izumihiroshi.judoclub@gmail.com
番組サイト⇒『犬とあなたと珈琲と。』
インタビューと文:白田祐子(しらたゆうこ)
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白田祐子(しらたゆうこ)
プロフィール:日本心理学会認定心理士。ヒトと犬の心と行動カウンセリングラボ「ル・ブラン湘南」代表/ドッグカウンセラー。
1990年代から犬の行動や心理を独学し、保護施設などでしつけのボランティア活動を開始。現在のパートナーは2005年生まれの雑種の女の子で名前は“うり”。
大学で心理学を専門的に学び、人と犬の関係や犬の心の成長の研究を行い独自のメソッドを確立する。2013年にパーソナルドッグカウンセリングを開始。人と犬のパーソナリティを重視したコーチングは特に多くの女性に支持されている。
里親制度の普及や地域行政と連携した“犬のしつけ”相談業務など、教育、行政、法律と多方面で人と犬の問題に向き合っている。
愛玩動物飼養管理士、ホリスティックケア・カウンセラー、ペット災害危機管理士、小動物防災アドバイザー、猫防災アドバイザー他、ペット関連資格多数。湘南ビジョン大学講師。2014年より神奈川県動物愛護推進員。2019年よりFM83.1MHzレディオ湘南に出演中。